戦場にかける橋
早川雪洲
2004.9.1の映画


 映画は1957年に製作された「戦場にかける橋」である。たまたまチケットショップをのぞいたらシアターアップルの招待券が300円で売っていたことと早川雪洲を見てみたかったからである。
 昭和36年の映画である。庵主が小さかったときに映画館で見た記憶がある。もちろんストーリーはすっかり忘れてしまっている。

 ところでこの映画の原題はなんというのだろう。「クワイ川マーチ」なのか。タイトルが出たら「クワイ川の橋」だった。ほとんど直訳のようである。
 監督がデビット・リーンだった。この人の映画はなぜか庵主と波長が合わないのである。見たあとに疲労感が残るということである。上映時間が2時間45分とあるから耐えられるかと思ったが大丈夫だった。
 今回はストーリーではなく昔見た映画だということで懐かしさを見ていたからである。

 昔の映画は最後のロールクレジットが短いということに感動してしまった。いまどきの映画は最後のロールクレジットがやたらと長いので庵主は老人性おしっこだらだらクレジットと思っている。映画も歳をとってきれが悪くなったのである。

 早川雪洲扮する斉藤大佐はやけに英語がうまいなと思ったら、昔ロンドンに留学していたという設定になっていた。納得した。さすがにシナリオはうまいのである。

 渡辺邦男監督の「明治天皇と日露大戦争」という古い映画があるが、あれだって今見ても十分楽しめるのである。いまどき流行りのCG多用の映画を見ていると疲れてくるのと違って、そういう手作りの映画は見ていても十分に消化ができるから心にしみるのである。CGで作られた画面は何が写っているのかよくわからないことが多いからイライラする。

 「戦場にかける橋」でいちばん気になったのはツブシである。庵主はツブシが大嫌いである。ツブシというのは映画でよく使われる技法で疑似夜景のことである。夜間の撮影が難しいときに使われる。夜の雰囲気を出すために画面を暗くするフィルターをかけて昼間に撮影することである。空はピーカン(超晴天)なのに画面が暗いのである。おいおいこれは真昼の光じゃないかと、今なら思う。昔はそれを夜だと思って見ていたのだろう。というのも気になるのは庵主が趣味で写真を撮っているから光の味わいに敏感になっているからである。昼の光なのに画面が暗いと露出を間違えたのではないかということのほうが気になって、ストーリーに身がはいらなくなってしまうのである。画面が暗いのは夜だという約束事で見ていれば問題ないことなのだが。でもやっぱりツブシはいやだ。
 それともう一つ、役者のクロースアップ(大写し)のときに顔の位置の置きかたが庵主の好みと違っていると、見ていて落ち着かないということがある。写真をやっていなかったころには気にはならなかったことである。

 早川雪洲はさすがに貫祿がある。なんでも昔の方がよかったというのは歳をとった証拠だというが、やっぱりすごいのである。市川雷蔵とか森雅之の、男の色気を今は見ることができない。長谷川一夫の色気までは必要ないが。

 そういえば、イギリス軍の大佐が斉藤大佐の言うことを聞かないことから、中に入ると立つこともできない小さな造りの“釜”と呼ばれている懲罰房に何日も閉じ込められているが、その間ウンコやおしっこはどうしていたのだろうかというどうでもいい疑問がわいてきて、シナリオってのはきたないことは書かなくてもいいのだと知ったのである。時々懲罰房から出されて来るときに大佐のズボンは汚れていないのだから、イギリス人はウンコやおしっこをしないのだろうか。
 登場人物がなんで生活費を稼いでいるのかわからないようなシナリオや、この手の細部が杜撰なシナオリはそういうところが気になってストーリーにのめり込めないから困るのである。庵主の悪い癖である。

 しっかりお金をかけて作られた映画をただ懐かしいという思いだけで見ていたのである。
 ちなみに、この映画の原作のピエール・ブールは「猿の惑星」の原作者でもある。だから捕虜として日本兵にいじめられたブールは後年、その屈辱から日本人を猿にみたてた本を書いたのであるという解説をどこかで読んだことがある。そうかもしれない。人間は人種差別が大好きなのである。
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 9月1日の午前10時上映の回に行ったのだが、結構お客さんが入っていた。300いや400人ははいっていただろうか。時間が時間だから、定年後といった年寄りがほとんどあるが、比較的若い女の子もいる。老齢の御夫婦と見受けられるカップルも多い。さすがに東京である。人が多いだけあっていろいろな人がいる。社会から必要とされていない人といったら言い過ぎかもしれないが、会社などに行って仕事をしなくてもいい人たちがいっぱいいるということが分かるのである。

 だいいち、庵主自体がいまだ天命くだらず、天職を授からないままに、ここしばらくはまったく収入のない生活をしているのだから、一人や二人働かなくたって世の中はまわるということなのである。
 日本には1億円以上の蓄えがある人が106万人もいるということを読んだことがあるが、そういう人達はあくせく働くなくてもいいということなのである。ためこんだお金を有効に使ってくれることが社会の役に立つということである。でもそういう人はお金を使わないからたまったのだから生き方を改善しないと宝の持ち腐れとなるのである。

 みんなが貧乏な頃は、まずは食うことが先決でその生活に差が出ないが、豊かになってくると、財産的にも、才能的にも多くの違いが出てくるのである。人間はけっして平等ではないということを改めて知るのである。
 庵主は映画を見に行って、スクリーンと一緒にそれを見に行く人たちも見てくるのである。
 庵主にとっては多くの人と一緒にシャシンを見るという状況が映画なのである。だから、DVDの映画ソフトを買ってきてホームシアターとやらで一人でそれを見るというのは異常な性癖だと評価するのである。口にはしないが、それはダッチワイフだと侮蔑しているのである。本物を見たほうがずっと面白いのにと憐れんでしまう。
 ないよりましだろうという考え方もあるかもしれないが、ダッチワイフを極めても、それは本物の世界とは別の物ではないだろうか。せっかく見るのなら本物を見たいと庵主は思う。
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 前説
 上映開始までの時間を借りまして、私が「戦場にかける橋」について知っている二、三の事柄をお話したいと思います。
 この映画、「戦場にかける橋」の原作者の名前はご存じでしょうか。ピエール・ブールといいいます。クレジットタイトルの中にリトン バイ ピエール・ブールと出てくるはずですから、見落とさないでください。ピエール・ブールは、実は、あの「猿の惑星」の原作者でもあるのです。すなわち、「戦場にかける橋」と「猿の惑星」の原作者は同じなんです。
 ピエール・ブールは「戦場にかける橋」の英国人捕虜の一人だったという。白人は黄色人種や黒人を人間とは思っていません。その日本軍にいじめられたのですから、そのときの鬱憤を「猿の惑星」で晴らしたのでしょう。
 私は英語が得意ではありませんので、「猿の惑星」の原題はてっきり「ザ スター オブ モンキーズ」あたりかと思っていましたが、映画を見たら「ザ プラネット オブ エイプス」とありました。
 辞書を引いてみるとエイプスというのはしっぽのない猿のことだとあります。モンキーよりは少しは進化した猿といったところでしょう。人間でもないのに智恵のある猿といったところでしょう。この猿のイメージは日本人です。ピエール・ブールは、捕虜として日本人にいじめられた屈辱感を「猿の惑星」を書くことで晴らしたということです。小生意気な猿、日本人めといったところです。

 映画の業界用語に「セッシュウ」というのがあります。ご存じでしょうか。
 俳優さんを台の上に乗せて、背を高く見せることです。
 映画の画面で男の俳優と女優が並んだところを写したときに、男の背が低いと収まりが悪いので背の低い男優に「セッシュウ」を使います。そうすると見た目がなんとなく落ち着くからです。
 その「セッシュウ」の語源が、今日の映画に出てくる早川雪洲なのです。
 早川雪洲という俳優さんは、当時のアメリカでは凄い人気のある俳優でした。いまで言えばマリナーズのイチローみたいなものです。
 田園調布に家が建つではありませんが、ビバリーヒルズに広大な邸宅を構えて、女の人にはもててもてて、ファンレターが山のようにきたといいます。映画の出演料も破格でした。
 早川雪洲を知らない若い方は本屋に行って映画の本を探してみてください。
 むかし、アメリカで人気のあったそういうかっこいい日本人俳優がいたのです。その早川雪洲がこの「戦場にかける橋」に出てきます。
 私はそのスター早川雪洲を見るために今日ここにやってきました。
 大スター、早川雪洲のオーラを早く見てみたいと思っているところです。

 ところで、こうして場内を見てみますと、平日のしかも朝の10時だというのに大勢のお客様がいらっしゃっているのをみてビックリしています。
 東京にはこんなに暇な人がいるのかと驚いてます。もっとも、私もその一人ですからなにもおどろくことはないのですが。東京には、朝っぱらあくせく働かなくても生活に困らない余裕のある人がこんないるということなのです。しかもわざわざ劇場に映画を見るために足を運ぶというのだからそうとう教養のある方ばかりだと思います。
 年配の方は、これまでに数多くの映画をご覧になってきたからお分かりのことと思いますが、若い人の中には映画というのは、スクリーンに写っている映像が映画だと思っている人がいます。とんでもない。映画というのは、映画を見に来た人たちのこの雰囲気のことであり、この劇場の空間の空気のことをいうのです。スクリーンのこっち側が映画なのです。
 だから同じ映画でもお客さんが違うとおもしろい映画でもそれほどおもしろいと思えなかったり、逆に期待していなかった映画がなぜか面白かったということがあるのです。それはそのときのお客さんが醸し出す雰囲気に影響されているからなのです。
 その点、今日のお客さんの雰囲気は最高です。映画を見るぞという気魄がこうしていてもひしひしと伝わってくるのがわかります。いいときに「戦場にかける橋」を見に来たと思っています。口に出してはいいませんが、「戦場にかける橋」を三倍おもしろく見られたそうだと、実は今ワクワクしているところです。

 まもなく映画の上映が始まります。私の注目はなんといっても早川雪洲です。
 早川雪洲が登場したらスクリーンに向かって「雪洲! 」と声を掛けますので、うるさいと言わずに、あらかじめご了承していただきたくて、お願い方々、「戦場にかける橋」について私が知っている二、三の事柄をお話させていただきました。
 どうもありがとうございました。