夜汽車の女
田中登監督作品
平成18年5月21日
阿佐ヶ谷 ラピュタ
自由席1200円
ラピュタの田中登特集である。
日曜日の夜に映写機を回すというのがいい。
今夜は「夜汽車の女」である。
ブリントがきれいなのである。
昔、オールナイト上映の映画に通っていたことがあるが、
なかには褪色したカラーブリントでの上映もあった。
もとは総天然色だったフィルムの色が褪せて
白黒映画ならぬ赤白映画になっていた。
赤といっても褐色といったほうがいい色である。
古いフィルムを上映するときはそれが当たり前だったのである。
お酒と同様にフィルムも温度と湿度管理が大切なのである。
だから旧作なのに色が美しいままのフィルムだとうれしくなる。
ラピュタはきれいなプリントのフィルムを用意してくれた。
「(秘)女郎責め地獄」の高村倉太郎のカメラもよかったが、
この山崎善弘のカメラもいい。
そのアングル(カメラの位置)がHっぽくていいのである。
エロ映画だからその細部を語るとさしさわりがあるから、
それは映画館で味わっていただくとして、
ご覧になるときはそのカメラ位置がじつにいい所にある
ということを感じながら見てほしい。
通常の娯楽映画が90分で撮られているのに対して
ロマンポルノは70分前後の映画である。
20分短いと映画の息がちがってくる。
ロマンボルノはなぜ短いのか。
エロ映画を延々と見せられても疲れるだけだから
それぐらいでちょうどいいのである。
それに興行時には3本立てで上映していたから、
客の回転を上げるためにはそれが妥当だったというわけである。
「夜汽車の女」は、じつは長編の息をしている映画である。
一つにはストーリがよくできている。
そしてカメラが見応えがある。
一つの画面が同時に二つの時間をはらんでいるのである。
その重畳性によって実際の上映時間より長く感じるのである。
実際の時間を実時間というのに対して、
人間が感じる時間の長さを心理時間というが、
この映画が長く感じるのは一つひとつの場面の厚さによる。
最近の映画は120分前後の作品が多いが、
庵主がそれを見ていて感じることは
長過ぎるということである。
観客の想像力で補えるシーンはいらないのである。
もっとフィルムを切れというのが庵主の感想である。
もっとも庵主は映画は90分で十分だという
主張の持ち主で長い映画を嫌うからである。
それ以上は煙草が我慢できないというのがその理由である。
エロ映画というのは本来なら想像力にまかせてカットする部分を
見せようというのだから
だまって撮ったら間延びした映画になってしまうことは
避けられないのである。
そこにきちっとストーリーを絡ませたのだから
見ていて最後まで飽きなかった。
ちょっとミステリー仕立てでもあるし、
サイコ映画のような趣もあって映画が深いのである。
庵主はその公開時に見て以来何十年かぶりに見たのだが、
一か所だけ記憶に残っている場面があって
この映画を見たと記憶が蘇ってきた。
懐かしさを感じてしまったのである。
田中真理のすらーっと伸びた肢体がきれいだ。
姉の続圭子は新スターとあった。
二人は小さい時から仲のいい姉妹である。
父親は大学の考古学の教授である。
母親は亡くなっている。
そこに姉の結婚相手として織田俊彦が入ってくる。
教授の後継者として父親が見込んだ男である。
田中真理は姉との間に入り込んできた織田がおもしろくない。
織田は続より蠱惑的な田中真理に誘惑されて関係してしまう。
それを知って続は妹に嫉妬する。
しかし織田はある事情を知ってまた続に鞍替えする。
実は田中真理は母親の不義の娘だったのである。
家には家事手伝いの桂知子がいる。
今でいうメイド喫茶のウェイトレスみたいな格好を
しているのがおかしい。
桂知子は夜は父親の性の捌け口ともなっている女でもある。
劇団に入ってドサまわりをしていたところを拾われて
この家で働くようになったのである。
中学校も卒業していなということで、
また父親との関係を知っている姉妹は桂知子を蔑んでいる。
桂がわざと皿を落として割る場面が何度も出てくる。
それがラストのどんでん返しの伏線となっている。
手のこんだシナリオなのである。
少ない登場人物には無駄がない。
夜汽車の女というのは本当に夜汽車が出てくるからである。
続は織田と妹が抱き合っているところを覗き見てしまう。
このときの照明がうまい。
絡む二人とそれを見る続を照明で交互に消して見せるのである。
片方の照明を落としてそちらを真っ暗にしてしまうのである。
それを見た続きは心を落ちつかせるために湖畔の宿に旅する。
田中真理は姉を追って投宿しているホテルを訪ねるために
夜汽車に乗るのである、蒸気機関車である。
その列車に一緒に乗り合わせた瞽女の歌が渋い。
これは「責め地獄」にも出てきた
道端で女物乞いが弾いていた三味線の音に通じる。
生きていることの哀しさを感じさせる音である。
それが映画の時間を長く感じさせる一要素になっている。
そして列車の中のカメラアングルも
時間をゆったりと味わわせくれるのである。
姉妹は湖畔の山中で心中のようにして死ぬ。
映画にはどんでん返しが待っている。
二人が死んだあとで桂知子が着ている洋服は
こんな服はいらないと田中真理が桂に投げつけて
あんたにあげるといった服なのである。
女優の汗ばんだ白いやわ肌のぬくもりを、
カメラのたしかな視線を、
そして凝ったシナリオを堪能できるこの映画は、
まさに田中登の美学といっていい映画である。
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