笑劇・ミュージカル風 さらばロマンスの日々

博品館劇場 平成18年4月13日
●E−18 5000円 前売券 
一緒に見た人 概算220人
午後7時〜8時25分


里吉しげみ(さとよし・しげみ)の新作は、
築40年以上の和風木造3階建アパートメントハウス
「トオリャンセ」が舞台である。
そこに部屋を借りに来た若いカップル。

部屋は気に入ったという。
でもどうしてここの家賃はこんなに安いのですか、
本当は事故物件なんですね、と
老婆の大家と仲介の不動産屋に問いただす。

ここ二十日間に立て続けに3件もの自殺やら殺人が起きて、
一人の男と五人の女が三途の川に旅立って行ったのだという。
なぜそんな事件がこのアパートメントハウスで起こったのか。
例によってのミステリー風に始まる里吉しげみ節の開幕である。

そんな無茶なという設定がうまく収まってしまうのである。
里吉節は子供には聞かせられないセリフの世界である。
だから客層の年齢が高い。
そして男の客が多いのはその毒に魅せられたものだろう。

その「トオリャンセ」を買い取りたいというのが
小泉旬一郎と小島進である。
その土地はあと二年で賃借期間が切れるというのに
それまで待てない、そして口にできない事情が二人にはある。

それはなにか。
つぎつぎに謎がばらまかれるのである。
里吉しげみの笑劇は見てはいけないものをひっぱがす。
だから子供向きの劇ではない。

あってもないことになっていることを突きつけてくる。
世間が見て見ないふりをしていることを取り上げる。
それらは見ないことでないことだとしている現実である。
できれば見たくない現実のことある。

エッチなセリフが多いから子供には刺激が強すぎる芝居である。
大人にも刺激が強すぎるから笑劇というオブラートに
包んで話を出してくる。
人が口にすることを憚る世界がそこにある。

そういうできれば見たくない現実を毒と呼んでおこう。
毒はまた避けたいものではあるが同時に心ひかれるのである。
里吉節はその毒の魅力なのである。
芝居の面白さがそこにある。

芝居という形は見たあとにその形は消えていく表現だから
そこで演じられたことは観客の心の中には残っても
それは物証としては残らないあったけれどない世界なのである。
そういう建前なのである。

だから世間では憚られることも舞台では口にできるのである。
建前では閉じ込められている本音を口にできるのである。
虚飾をかなぐり捨てて本音を語りあうことができる空間である
ということが未来劇場の魅力なのである。

だからその芝居を見たあとには世間の建前という呪縛からの
解放感があってしばし心がさっぱりするのである。
その毒であるが、あるときは被爆者であり、臓器売買であり、
精神障害者や身体障害者であったりする。

もともと看板女優水森亜土の役柄がいつもちょっと足りない
女の子、もしくは中年女、あるいは老女なのである。
最初から毒がちりばめられているのである。
だから観客がその毒になれるのに時間はかからない。

里吉しげみの毒にならされた観客はその毒の味を
忘れられなくなるのである。
今度の毒は強烈である、セックスボランティアだった。
それが三つの自殺そして殺人事件の謎を解く鍵になっている。

映画にグランドホテル形式という作劇術がある。
その伝でいえば今回の新作は未来劇場形式である。
未来劇場形式とはなにか。
それは長いテーブルを置いて行なわれる劇のことである。

登場人物は7人掛けの長いテーブルに坐って
観客と向かいあうスタイルで芝居が進められる。
それは映画でいえば横長のシネマスコープのように
芝居を視覚的にワイドに見せるスタイルである。

未来劇場の魅力は何か。
ストーリーの毒のおいしさもさることながら
女優さんが美人揃いだということである。
里吉しげみという「毒」にひかれているのだろうと思う。

劇場に行くとロビーの隅で
素人離れをした格好をしてちょっとおっかない風貌の
それでいてダンディーな男が客を注視しているのが目につく。
その人が里吉しげみである。

美しい物やうまい物に対する要求水準が高いことは
芝居の中に散りばめられた
グルメチックなセリフを聞くと分かる。
劇中にやたらと出てくる酒の名前に庵主は爆笑するのである。

普段はそんなものを飲むこともない女優たちに
なんたらかんたらというワインの長い名前を連呼させる。
その呪文で美人の女優たちをたぶらかせたのだろう。
七瀬薫(ななせ・かおる)は声が魅惑的だ。

水咲まゆ花(みずさき・まゆか)といい、
今回は老婆の役でその美貌を見ることができなかったが
表純子(おもて・じゅんこ)といい
表情もスタイルもいい女優さんばかりである。

しかも踊ってしまうのである。
正月になるとレビューをやってしまうほどの実力である。
その華やかさはいまや数少ない贅沢なショーの一つである。
今回の劇のフィナーレもダンスショーである。

しかも阪神タイガースの応援歌をもってきた。
さては里吉しげみは阪神ファンなのか。
阪神には実は在日系の選手が少なくないのだという。
里吉しげみは心情的には在日系なのかもしれない。

これまでの芝居でぶちあけてきた毒は
日本人の社会の建前に対する憤懣だったのか。
これから先は庵主の仮説であるが、
倭国ではなく日本という国の国体の中枢は支那人ではないのか。

支那の虐殺欺妄の風土を嫌い戦乱のない安寧の世界を求めて
当時の高い文化を持って倭国の地に渡って来た支那人である。
そしてその支那人が支配層となり、社会を実際に動かす原動力
の部分を支那人や朝鮮人が担っているのではないか。

土着の日本人は温厚でおとなしく統治しやすい性向であるが
社会を動かす原動力としては馬力が足りないからである。
しかし支那人や朝鮮人の振る舞いが目に付くようになったら、
土着の日本人の反感によってそれは叩かれるのである。

しかし体よく使われている朝鮮人にしてみれば
力道山にしても、美空ひばりにしても、金本知憲にしても、
元気のないときの日本人を励ましてきたのは朝鮮人なのに
なぜ日本人は見下した態度をとるのかということになる。

それは支配の構造なのである。
支配される人たちの間で不満のぶつけ合いをしても
支配者にはその矛先が向かないようにするという構図である。
その構造もまた毒なのである。

知りたくない現実である。
ないことになっているものを掘り返すストーリーは
里吉しげみが心の中に潜んでいる毒をぶちまけて
心の解放を図っているのかもしれないと思ったのである。

在日支那系や在日朝鮮系とそれを取り囲んでいる
大勢の日本人との軋轢はけっして小さくないということである。
しかし両系の人たちが日本人に突きつけてくる刺激こそが
日本人になにくそという気持ち揺り動かす原動力なのである。

最近は旧作の再演が多かった中で
今回の新作では里吉は政治に対する意見を吐いた。
小泉総理をくそみそに貶したのである。
ヒューザーの小島社長やホリエモンが出てきた。

際物に徹したセリフを聞くのは珍しい。
再演のときはこの部分はもう使えないのだから。
久しぶりに生の芝居を、同時代の今だけの芝居を見たのである。
小泉総理も父親が朝鮮系であるという。

あの破壊力はそういわれたら納得してしまいそうである。
里吉しげみの芝居はそういうような
見てはいけない、また語ってはいけない現実に踏み込むから
これは毒に対する耐性がある大人のための芝居なのである。

その毒を笑劇といいまたミュージカル仕立てというオプラートに
たくみに包んで見せてくれるから気持ちよく見終わったあとには
ちゃんと観客の心の中にその毒は染み込んでいて、公演となると
その毒に誘われてまた劇場に足を運んでしまうのである。

小泉旬一郎と小島社長が描いていた夢とは、
そして、その実現を急ぐ理由を隠さなければならないわけとは、
これはやっぱり博品館劇場に行って
自分の目でたしかめてくるしかないのである。

未来劇場の舞台照明は芸が細かいから
それを見落とさないでほしい。
窓の外の照明が朝から夕方になりそして夜となり深夜になって、
さらには幻想の世界にと細かく変わっていくのである。

あとは女優さんの美しさを追いかけていると
2時間15分ノンストップの舞台は、
初日は10分押したが、あっという間に過ぎていくのである。
そして、それは心地よい大人の時間なのである。