「お笑いとバトルのスーパーライブ」
オオタスセリ


西新宿 角筈区民ホール 平成18年5月15日
●B−13 3000円
150人
午後7時5分〜午後9時20分

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プログラム 
お笑い       オオタスセリ
トークショー 山根二郎×矢崎泰久
そのゲスト       鈴木邦男
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お笑いとバトルのスーパーライブと銘打ったショーの
お笑いの担当がオオタスセリである。
バトルの方は、山根二郎と矢崎泰久の対談に
ゲストとして鈴木邦男が加わる。

よって、客層はインテリや国士が多い。
もちろん庵主のように芸人狙いの客もいる。
その観客構成がこの夜の会場に
屈折した笑いをもたらしたのである。

オオタスセリは知る人ぞ知るである。
庵主の耳にはいってきた後ろの席の奥様方の会話。
サセリ? パセリ? スサリ? どこで切るのよ、この名前。
オオタ、スセリよ。

事務服姿で出てきたそのオオタスセリは
まず、ツカミの短いコントをやる。
舞台の上に横になって寝てしまうのである。
そして、激しくうなされる。

目覚めて、
「ああこわかった。男になった夢を見た」。
両胸をおさえて「ある、ある」。
スカートの中をのぞいて「ない、ない」。

場内の反応が鈍いのは客層が高年齢のせいである。
この世代の人は笑うことを知らない。
いまどきの若い世代がお笑い番組を見てのべつまくなし
笑いころげているのは奇矯だが年寄りも逆の意味でそうである。

こちらの世代はおかしくても笑えないのである。
いい大人が人前で笑いこけるのは
不謹慎だと思っているものか
おかしくても笑わないのである。

なんにでもすぐ笑う若い人が感性の扉が壊れているとしたら、
お年寄りはその扉の蝶番が錆びているのだろうか。
いや、ほんとうはおかしいのに
その笑いを強い意志で押さえているというのが真実である。

だから、庵主の前の例に坐っていた
おとうさん年配の人たちは
スセリの歌を聞きながら小刻みに頭をふるわせていた。
おかしさを一生懸命こらえているのである。

事務服を来て出てきたので
庵主が好きな「ラジオ体操」のネタをやるかと思っていたら、
「役所の戸籍係」だった。
婚姻届けを受理する窓口の係員のコントである。

大安吉日なので次から次に婚姻届けが届けられる。
中には婚姻届けを提出する場面を写真に撮るカップルもいる。
さらにはそれをビデオで撮るということで
レンズに向かって愛想をふりまくスセリ。

男同士のカップルが来たり、
窓口のスセリにあなたが結婚相手になってくださいと迫る
とにかく結婚したいという男が来たりして笑わせる。
最後の届け出人の正体が落ちになっている。

「ウォーキング」は
会社でのストレスを発散させようとしてウォーキング
しているOLの話。
会社のいやな山田課長のことを忘れようとするスセリ。

ウォーキングをしていても
心に浮かんでくるのは山田課長の気に入らない振る舞いである。
ますますストレスがつのる。
一つ忘れようとしてもまた別の記憶が蘇ってくる。

それではいけないと
ジョギングに切り換えるがやっぱり駄目。
忘れようとすればするほど
山田課長のことが気にかかるというおかしさを演じる。

スカートの丈を短くして
事務服を脱いだらその下にはセーラー服が。
少女髪の鬘をかぶって、
ルーズソックスをはいたら女子高生に変身。

女子高生ネタで3連発。
ギャルの話し方がおかしい。
これはおかしいから実際に見てみるしかない。
舞台の上でまた衣裳チェンジ。

紺色のスカートを脱ぐと別のスカートをはいている。
セーラー服を脱ぐとグリーンのセーター。
スカートと同じ生地のダブルの上着を
取り出してくるが右前に合わせる。

あれ、女の服は左前だったっけと左前に直す。
自分が男だか女だかわからなくなったようである。
さてギターを取りだして歌がはじまる。
「ストーカーと呼ばないで」がヒットしている。

TBSラジオではその歌を流せるのに、
ニッポン放送では放送禁止歌だという。
NHKでは曲名も言ってもらっては困りますといわれた
と内情をばらして笑わせる。

この歌は愛の歌です、といって唄いはじめる。
場内は表面的には静かなので
スセリの歌がいつもと違って明瞭に見える。
歌詞はもちろんだが歌い方のニュアンスがよく聞き取れる。

人が人を愛するということは
一歩下がって見ると喜劇に見えるということなのである。
でもなぜか好きになってしまう。
はたから見れば困った習性には違いない。

今日の会はタブーに挑戦だと聞いているので、
放送や場所によっては絶対唄えない歌を唄いますという。
ニートの歌と介護の歌だった。
その内容はいえない、忘れてしまったからである。

こぶしを無理に付けて唄う「五月病」なる歌を聞かされるのも
五月が過ぎるまでの辛抱である。
そして「酔っぱらい女の歌」(曲名不詳)である。
これはおかしい。

この歌のときは
前列のお父さん方も笑いだしてしまった。
この日初めてオオタスセリの歌を聞いた人がいっていた。
ほかにない特徴のある声ねと感心していた。

ギターが少しずつ上手になっていくのがわかる。
アンコールの時間はありませんからと断ってからの
最後の歌は「リストラの歌」。
二番の歌詞がトラウマである。

三番の歌詞がウマとシカである。
馬−鹿で締める。
お笑いのあとは、山根二郎弁護士と
自称ジャーナリストの矢崎泰久の対談である。

山根弁護士は金嬉老や●●●の弁護をした人である。
その父親は昭和天皇も動かしたことがある国士だったという。
で、幼少の時の名前が山根興亜(おきつぐ)だったという。
その名前がいやで改名届けを出したら認められたという。

長男だから一郎という名前にしてはどうかという話もあったが
それでは権威的だということで二郎にしたという。
昭和十一年の生まれだというから、
一一年を一字で書いて二として二郎なのかもしれないが。

日本が戦争に負けて進駐軍がやってきたとき、
山根はアメリカ軍が解放軍に見えたという。
中朝韓は日本とは異質だから日本が世界から孤立しないためには
日本はアメリカの一州となったほうがいいともいう。

それに対して、1億2千万人の日本人の中から大統領を出して
アメリカを征服しちゃいますかというのは矢崎である。
中国に吸収されたら10%に満たない日本人だが、
アメリカなら30%という一大勢力になれるからである。

そしてみんなで日本人候補者に投票したら
日系大統領も夢ではないというわけである。
もっともアメリカもそれがわかっているから
お願いしても絶対州にはしてくれないといって笑わせる。

日本は世界に友達がいないといはいうが、
全地球の人口60億人のうち日本人が1億2千万人いる。
これだけお友達がいるのだからもう十分なのではないか。
外国に友達を求めなくてもいやになるほどいるのである。

人間が外に出ていくから軋轢を起こして戦争になるのである。
狭い地球そんなに進出してなんになる、である。
平和が好きなら軋轢を避けて鎖国するという選択肢はないのか。
それとも現状維持はすなわち後退であるという説をとるのか。

鎖国をすると外国にいい武器を作られたら国防はかなわないから
それでは国を守れないということなら話は別である。
自国を守るために諸外国の武器に遅れをとってはならない
ということなら鎖国はできないことになる。

そこで一番兵器が進んでいるアメリカに付くというのは
合理的な考え方なのである。
日本人はもう戦争なんかやりたくないと思っていても
周辺の共産主義国やそのシンパの国はそうは考えてはいない。

それらの国の相手をするとなったらアメリカに付く以外の
選択肢はないというのである。
だれだって平気で自国民を殺しまくる共産主義は嫌いだから
消去ほうでいくとそれしかないということになるわけである。

憲法改正、教育基本法改正と、
日本の生き残りをかけての舵取りが行なわれようとしているが、
しかしその向かう方向が全然見えないという状況にある。
どこに向かうのか目標が示されないとわからないではないか。

小泉総理は別としてそれが見えている人がいるのかもしれないが
庵主にはそれが、その裏の事情が知らされていない。
結局情報がない状態で判断しろといわれても
判断の下しようがないということなのである。

教育基本法の改正案が愛国心にかえて
伝統への回帰を掲げていることは
間違っているといったのは山根である。
山根には仏教は日本の癌だという「仏教解体論」なる本がある。

そういう伝統に回帰するのは間違っているというのである。
伝統が必ずしもいいものではないという指摘である。
庵主がさらに補足すれば
今の伝統は明治政府が創作したものが多いのではないか。

そんなものは伝統でもなんでもなく、
幕府を倒した政権のフィクションなのである。
神前結婚というのがあって、日本は神道の国だから
大昔からあったのかというと明治中期に始まったものだと聞く。

そういう一皮むれば底の浅い伝統が少なくないのである。
伝統に回帰してクーラーのない夏に戻ることもできないだろう。
照明も電気から蝋燭に戻すこともできない。
伝統に回帰することは生活の不便を託つことになることが多い。

ゲストの鈴木邦男が加わると天皇制の話になる。
天皇制は日本人の心を呪縛する概念にすぎないのか。
それともそれこそが日本人の淵源なのか。
一度廃止したら元に戻せないものだけに論は浮足立つ。

あとからしまったと思っても責任のとりようがないからである。
近代・現代を進歩しているのだと信じている人とは反対に
ご一新のあとにできたものに碌なものはないという考えがある。
見掛けは現在の方がよくなったように見えるのである。

便利になったように思うのである。
しかし、それで幸せになったかというと
だれもがなにかしらの虚しさを感じているのではないか。
それは人類が間違った方向に進んでいるからなのではないか。

物が豊かになり、生活は便利になったが、
人間のぬくもり感が希薄になっていくのはなぜなのか。
個人の自立だの自由だのを声高に叫ぶことで
人間の心に充実感をもたらしてくれるのか。

山根は日本は近代をやめたのだという説を述べる。
テレビや新聞では出てこない話に耳が吸いよせられる。
そのへんの話題はタブーを破ることを標榜する
バトルトークショーならではである。

面白かった部分は庵主の筆力では書くことができない。
委細は当日会場にいた人たちだけのひそかな楽しみである。
三島由紀夫の話になったときに、
矢崎泰久は何度か本人に会ったことがあるといった。

しかもサウナに一緒にはいって男同士のつきあいをした
ともいうからちょっとうらやましいのである。
三島由紀夫はなぜ後世にまで人を引きつけるのか。
ただしくは「男」を引きつけるのか。

山根の弁舌はとどまらず、
終了予定時間を過ぎてもなおとどまることのない熱弁だった。
スーパーライブはタブー破りのトークショーなのである。
かつ時間破りのトークショーなのである。