「やや無情」+「烏瓜の園」改訂版
脚本 小池竹見 演出 砂川幸子
企画・製作 ストローハウス/ソユーズ
銀座みゆき館 平成18年5月29日
●自由席 2000円
満席 90人
午後7時〜午後9時20分
「私、お父さんにいいたいことがあった」
劇中劇で、いまは母親の再婚先に住んでいる娘の咲子が、
出所してから10年間も会っていない今は更生して
工場長をやっている実の父親と再会していうセリフである。
更生するということはどういうことなのかという劇中劇の
最後の、そしてクライマックスのセリフはこうである。
「10年遅いけど、おつとめご苦労様です」
そういって父親に深々と頭を下げる咲子。
そのセリフが出てくる心のひだの説明を抜きに書いているから
わからないだろうがそのセリフが心にジーンとくるのである。
10年間の父と娘とのわだかまりが解けた瞬間である。
そして不良少女をやっていた咲子の性格が光った瞬間である。
たった1本のセリフで父親の気持ちも娘の気持ちも
観客の心にストレートに伝わってくるのである。
こうして文字で書いたのではなんてことないセリフだが、
それが劇場で、ストーリーの中で、耳で聞くといいのである。
その面白さこそは
劇場に足を運んだ人だけが味わえる楽しみである。
その咲子を濱崎由加里(はまさき・ゆかり)がやっている。
小柄なので少年院の院生の役がはまっている。
今はジェンダーフリーだから少年少女院とでもいうのか。
舞台は刑務所である。
話はそこで行なわれた劇中劇を見るという展開である。
劇の中にもう一つ劇があるという入れ子構造である。
いや、一粒で二度おいしいといったほうがいいのか。
芝居を作るということはどういうことなのということを
観客に考えさせながら、
同時にその劇中劇にも感動させるというテクニックである。
受刑者の更生事業として演劇が導入されることになった。
咲子はそこに少年院から応援出演で来るという設定である。
最初は演劇などやるのをいやがっていた受刑者たちも
稽古が進むにつれてだんだん芝居に身がはいってくる。
やがてその演劇を公開しようという話になって
受刑者は日に日に芝居に打ち込んでいくようになる。
いよいよ発表する日が近づいてきたというときに、
上からの決定でその発表会が中止になってしまう。
もう芝居はしなくてもいいということになったのに、
しかし、受刑者はその芝居を最後まで演じきるのである。
その舞台もまた最初はトーンが低かったのに
劇中劇が進むにつれて段々光りはじめるのがわかる。
はじめのトーンが低かったというのは
初日だからというわけではなかったろう。
満席の中で見ていると受刑者がみるみる芝居に
のめり込んでいって舞台に艶が出てくるのが見て取れた。
そして最後にうるうるとまではいかないが、
心にしみてくるのが、
劇中劇の、そしてこの劇のクライマックスのセリフで
冒頭に書いたそれだった。
更生とは
信頼を取り戻すことなのである。
自信を取り戻すことなのである。
そして信じてくれる最愛の人がいるということなのである。
その劇中劇はもう再演されることがない芝居である。
いや、その前にいま稽古している最中の芝居も
もうその先はやる必要がなくなったのである。
この更生事業は終わったからである。
稽古中の芝居がその知らせを聞いて中断してしまう。
その時一人の受刑者がその続きのセリフを口にして演じ始める。
それを聞いて中断していた芝居がまた動き始める、生き返る。
そのセリフにはっとして心が突き動かされる受刑者たち。
そして、劇中劇は最後まで演じられる。
もちろん、観客もそのラストシーンはまだ知らない。
受刑者と同様にその演劇が中止になってがっかりした
気持ちになっていた観客をも元気づけるのである。
その脚本の構成がうまい。
最初は受刑者を強圧的に管理していた刑務官も
その演劇に加わることになって
管理するされるという関係を越えて芝居に引き込まれていく。
受刑者による劇の公演は中止になったが
その劇中劇はいつまでも観客の心に残るのである。
濱崎由加里はいい役をもらったのである、光っていた。
おっとごめん、庵主は由加里のおっかけなものだから。
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